宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館
瑞泉寺の再建に端を発し、宮大工の鑿一丁から生まれた華麗にして豪壮な井波彫刻と、その木彫刻職人たちが造りあげたまち井波。彫刻工房と町家が軒を連ねる石畳の通りには、木槌の音が響き、木々の薫りが漂う。通りには至るところに七福神や十二支などの木彫刻が飾られ、まちはさながらに木彫刻の美術館である。春には井波彫刻で飾られた曳山や屋台、獅子舞がまちを練り歩き、地域の安泰や五穀豊穣を祈る。地域の暮らしに根づく井波彫刻は、その高い技術力や芸術性を広く全国から認められ、今や日本の木彫刻文化の護り手となっている。


瑞泉寺の再建と井波彫刻の誕生
瑞泉寺は現存する北陸最大の木造建築物で、その伽藍は木造寺院としては全国屈指の規模を誇っているが、瑞泉寺と門前のまちは幾度となく井波風と呼ばれる強風が原因で大火となり焼失している。そのため防火対策として、寺の正面には大楼壁と呼ばれる高さ約6.2mもある石垣が築かれ、さらには参道である八日町通りの正面からあえて山門や本堂を少しずらして配置するなど、風の通りを抑える工夫もされており、これらは宝暦12年(1762)の大火後の瑞泉寺再建にあわせてなされたものである。そして、井波彫刻もこの時の瑞泉寺再建をきっかけに産声をあげる。


継承される伝統の技と拡がる井波彫刻
木彫刻のみで250年余も生き抜けたのはそれ故であり、井波のまちを見事な木彫刻の作品で埋め尽くすとともに、今も新しい木彫刻作品を創造し続けている。現在、井波には木彫刻職人は250人を数え、200 軒もの工房が高い技術で競い合う。井波には、木彫刻職人を目指す多くの若者が全国から集まり、修行し腕を磨き、一人前の職人となり井波でそして全国でその腕を振るう。受け継がれてきた高度な木彫刻の技は、日本各地の曳山や屋台、寺社仏閣や城郭などの彫刻に使われ、日本の伝統や文化を支えている。今や井波彫刻とその職人たちは、井波を木彫芸術のまちに造り上げただけでなく、日本の木彫刻文化を支える護り手となった。
<引用 日本遺産 ポータルサイト>
